吉川英治『三国志』

「曹操、曹操」

 誰か、檻車に近づいてきて、低声に呼ぶ者があった。

 眼をひらいて見ると、昼間、自分をひと目で観破った関門兵の隊長なので、曹操は、

「何用か」

 嘯く如く答えると、

「おん身は都にあって、董相国にも愛され、重く用いられていたと聞いていたが、何故に、こんな羽目になったのか」

「くだらぬことを問うもの哉。燕雀なんぞ鴻鵠の志を知らんやだ。――貴様はもうおれの身を生擒っているんじゃないか。四の五のいわずと都へ護送して、早く恩賞にあずかれ」

「曹操。君は人を観る明がないな。好漢惜しむらく――というところか――」

「なんだと」

「怒り給うな。君がいたずらに人を軽んじるから一言酬いたのだ。かくいう自分とても、沖天の大志を抱いておる者だが、真に、国の憂いを語る同志もないため、空しく光陰の過ぎるのを恨みとしておる。折から、君を見たので、その志を叩きにきたわけだが」

 意味ありげな言葉に、曹操も初めの態度を改めて、「然らばいおう」と、檻車の中に坐りなおした。